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2022.07.01
京都の伝統的な夏の風物詩「鵜飼」

ジメジメとした梅雨の時期が終わり、ついに夏がやってきました。
今年は異例の速さで梅雨が終わってしまい、6月の梅雨明けは1951年の統計開始以来始めてのことだそうです。
京都には納涼床を始め、夏の風物詩と呼ばれるものが多く存在します。
その中でも昔からの伝統を守り続け、今日も京都を代表する夏の風物詩として有名な
「鵜飼」についてご紹介したいと思います。

日本では平安時代から貴族や武士などが鵜飼見物を行なってきた歴史があり、現代でも観光として鵜飼が行われています。
当時は日本各地で盛んに行われていた鵜飼ですが、現在では日本で鵜飼がみれる場所は10箇所ほどしかないと言われています。
その中でも京都では「嵐山」「宇治川」の2つの地域で鵜飼が行われており、今も夏の風物詩として親しまれています。

毎年夏の夕暮れ時になると川面に松明が灯され、川岸に沿って何隻もの屋形船が並びます。
屋形船に乗り込み、日が暮れるのをのんびりと待つとその後鵜匠からの説明があり、いよいよ鵜飼が始まります。
伝統的な衣装を身につけた鵜匠が巧みに鵜を操り、鮎を釣る姿を楽しむことができます。
鵜舟との距離は5〜10mほど離れているそうですが、かがり火が明るいため鵜が泳いでる姿や鮎を銜えて出てくる姿を見ることができるそうです。

この鵜飼漁で取れる魚には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして鮎を気絶させるため、鮮度を保つことができます。
そのため鵜飼で取れた鮎は献上品として重宝され、安土桃山時代以降は幕府及び各地の大名によって鵜飼は保護されてきました。
一方で鵜飼は効率の良い漁法ではないため、明治維新以降には減少傾向となりました。

また宇治川の鵜飼についてはこんな歴史もあるそうです。
藤原の道綱の母が書き残した「蜻蛉日記」には、天禄2年(971年)奈良の長谷寺に参詣した際、
川岸から宇治川の鵜飼の様子を見物したことが書かれています。
当時、川には数えきれないほどの鵜飼の船が漁に出ており、各々かがり火を炊き、夜通し漁を行っていたそうです。
宇治川の風物詩と言われるほど盛んだったこの漁も平安時代後期に仏教の教えから宇治川での殺生を戒められ、
ついには全面禁止となる太政官符が出されることとなり、一切漁ができなくなりました。
そして西大寺の僧、叡尊が漁具や漁舟を浮島の辺りに埋め、日本最大と言われる十三重石塔を建てて魚霊を供養しました。
こうして宇治川の鵜飼は一時衰退してしまいましたが、
1926年(大正15年)に再興され、宇治の夏の風物詩としてまた行われるようになりました。

今年はコロナウィルスの感染状況もありますが、各所で行事などが再開され出しました。
嵐山も宇治川も今年はどちらも鵜飼が開催予定のようです。
感染予防措置を十分に取りながら優美な船の遊びを楽しんでみてはいかがでしょうか。

宇治川の鵜飼:7月1日〜9月30日まで開催予定
嵐山の鵜飼:7月2日〜9月23日まで開催予定
※コロナウィルスの感染状況により実施の内容変動あり

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