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2023.02.01
菅原道真公が愛した梅が咲き誇る「北野天満宮」

2月に入りまだまだ寒さ厳しい今日この頃ですが、
暦の上で2月は立春の季節でもあり、
少しずつですが各地から梅の開花の便りが届く季節となりました。

京都では四季の中で春の桜と秋の紅葉に次いで人気が高いのが梅の花です。
早春を彩る梅の花は今も昔もその姿と香りで京都を訪れる人々を魅了しています。
梅が見頃を迎える2月〜3月は京都の観光業界は閑散期にあたり、普段よりもゆっくりと梅を楽しむことができるのではないでしょうか。
そこで本日は京都を代表する梅の名所「北野天満宮」と梅についてご紹介したいと思います。

北野天満宮は、全国に約12000社ある天満宮や天神社の総本山で、
地元では「天神さん」「北野さん」という呼び名で親しまれています。

北野天満宮が創建されたのは今から約1000年以上前の平安時代中期、947年と言われています。
当時、菅原道真公の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)や近江国(今の滋賀県)の比良宮で神官を務めていた

神良種(みわのよしたね)、北野朝日寺の僧侶らが北野の地に神殿を建て、
道真公の御神霊をお祀りしたのが始まりとされています。

その後、藤原氏により大規模な社殿が造営され、987年に一條天皇勅使により国家の平安が祈念されました。
この時、「北野天満大自在天神」の神号が与えられ、国家国民を守護する神として崇められるようになりました。

北野天満宮といえば学問の神様としても有名です。
その由来は江戸時代、全国各地に読み書きや算盤を教える寺子屋が普及し、その教室内に天神様が祀られたり、
道真公の姿を書いた御神影が掲げられたりするようになり、現在まで学問や芸能の神様として信仰を集めています。

そんな菅原道真公はどんな人物だったのでしょうか。
845年6月25日、学者の家に生まれた道真公は、幼少の頃から学業に励み、情緒豊な和歌を読み、
格調高い漢詩を創作するなど神童として注目を集めました。
やがて大きくなった道真公は政治家としても卓越した手腕を発揮し、
右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されたそうです。
このように卓越した能力を持っていた道真公が学問の神様として崇められる由来となったのかもしれませんね。

また、天満宮や道真公の象徴として梅の家紋が使われているように
道真公が梅をこよなく愛したと言われ、境内にはたくさんの梅が植えられています。
お正月ごろから早咲きの雲龍梅などが開花しはじめ、京都でもいち早く梅シーズンへと入り
梅を楽しみにきた観光客などで賑わいます。

また、菅原道真公の命日である2月25日には、梅花祭が開催されます。
例年は神事に加えて野点大茶湯(のだておおちゃのゆ)が行われます。
この野点大茶湯は、京都の花街である上七軒の芸舞妓が点てたお茶をいただくことができるお茶会として、高い人気があります。

北野天満宮は梅苑に限らず境内一円で梅が開花します。
中でも梅苑とあわせて有料公開される御土居の梅林は見事です。
近年北野天満宮は、紅葉スポットとしても人気急上昇していますが、梅林も負けず劣らず美しく人気があります。

今年は1月28日から梅苑が開苑されています。
3月下旬まで開苑予定ですので、素敵な梅を見に行ってみてはいかがでしょうか。

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